希死念慮の恐ろしさ



既にネット上で他の方が同じことを言っているかもしれませんが、希死念慮は「死にたい」ではなく「消えたい」から始まります。私の場合はそうでした。


苦しい、辛い感情が湧き上がりすぎて、その感情から逃れたい、解放されたいという気持ちが生まれます。逃れる、解放される手段の一つが「消える」なんです。


なぜ初めから「死ぬ」にならないのか。それは「死ぬ」という行為が労力を伴うものだからです。他人にも手間と迷惑をかけますからね。


心も体もすり減らして、死ぬ労力すらなかったのです。自然に消えていきたい、それが一番の願いでした。


この希死念慮が厄介なのは一度心に抱いてしまうと、ふとした時に「消える」選択肢が出てきてしまうことです。


別に死にたいとは思っていませんし、自殺を図ろうともしません。病気も前よりかは良くなっています。でも気持ちに波があって沈みがちの時に、そうは思っていなくても「消える」という言葉がふと頭をよぎります。それだけでなんとなく心に負担です。


自然と出てくる希死念慮。頭の中から取り除きたい。
苦しさ、辛さから逃れる、解放される手段をもっと考えなければいけません。

うつ病闘病記

2020年8月〜体調不良/適応障害→うつ状態→気分変調症→うつ病診断/精神科病棟入院経験有り。入院生活が暇すぎてブログ始めました。 https://twitter.com/adjustment_yaro

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